TRASH VANGUARD
肥溜めの先駆者。(直訳) ペットボトルロケットでぶっとばせ!
ショートストーリー05


同じ窓から見えた夜(仮)

居酒屋から、独特な雰囲気をもった集団が外に出てくる。年齢は全員同じくらいだろうか。
誰かが音頭を取ってみんなをまとめて次の店に連れて行こうとしている。 吐いたりするような人間がいるわけでもなく、落ち着いているといえば落ち着いているようにも見える。
全員が次の店に行くわけではないらしく、挨拶をして集団から外れる人たちもおり、タクシー乗り場に何人かが並んでいる。 タクシーはまだなかなか来ない。だいぶ過疎地だから仕方がないかもしれない。
そのうちタクシーが何台かやって来て、一組の男女が車の中に消えた。

「ほら、来たよ、タクシー。途中までいっしょに帰ろうよ」
「あぁ、そうだな」
「えっと、希望ヶ丘の方までお願いしまーす」
「ふぅ」
「もしかしてだいぶ飲んだ?」
「いや、そうでもない」
「そっか。なんかあんまり話の輪に入ってなかったよね。二次会行かないんだ?」
「そうだな、行った方がよかったのかもしれないな」
「あたしも行かないんだけどね、ちょっと疲れちゃったし」
「坂下もあんまり飲んでなかったように見えたけどな」
「ん、あんまりお酒は、ね。好きってわけでもないし」
「そうだったのか」
「だよ、卒業以来ほとんど会ってないからね、知らなくても当然か、あはは」
「もう20年だからな」
「ね、なんで鬼塚は来ようとか思ったの? 今まで1回も来てくんなかったじゃん。あたし幹事とかやってたんだけどなー」
「悪いな、暇がなかったんだ」
「嘘でしょ」
「まぁな」
「なんか理由ありそうだもん、全然楽しそうじゃなかったしさ」
「そうだな」
「もう来ないでしょ」
「あぁ、もう来ないだろうな」
「やっぱり、あはは、女のカンって結構当たるもんなんだよ」
「そんなもんなのか、女は恐いな」
「あはは、そういや結婚とかは、してるんだよね?」
「いや、してないよ」
「あちゃー…」
「いろいろあったからな」
「ね、ちょっと怒らないで欲しいんだけどさ」
「ん?」
「やっぱり、谷口さんのこと、ずっと引っかかってる、のかな?」
「あー、坂下は知ってたのか」
「うぅん、当時は知らなかったんだ。あとで黒木くんから教えてもらった。鬼塚って、黒木くんだけには話してたんだね」
「あの頃は親友だったからな。ん、アイツも口が軽くなったもんだな」
「あはは、今日来てなかったしね」
「谷口のことは引っかかってる。でも、谷口のことがずっと好きとか、忘れられないとか、そういうのとは違う」
「うん」
「俺は、何があのころおきていたのかを知りたいだけなんだろうな。俺は結局あのころ谷口のことを何一つ知らなかったってことだからな」
「やっぱりねー、なんとなくそういうことなんじゃないかな、って思ってた」
「女のカンってやつだな」
「そうかもね、あたしもそのことずっと気になってたんだ」
「だろうな」
「あれ、ってことはもしかして知ってるんだ?」
「あぁ、吉住と付き合ってたんだろ」
「あはは、あたしも隠してたつもりだったんだけどな、バレバレかー」
「男子より女子の方が口が軽いってことだろ」
「まさにそれだよねー」
「で、何か調べたりとかしてたとかそういうことか」
「ちょっとはね、大したことはわからなかったよ。小娘一人の捜査じゃ限界なんてすぐに見えちゃうしね」
「はは、俺も当時から坂下みたいな行動力があれば、そのあとずっと何十年も悩まなくて済んだかもしんないのにな」
「そだね、あたしもあのころ谷口さんと鬼塚が付き合ってたの知ってたら、協力してもらってたよ」
「悪いな」
「うぅん、やっぱり谷口さんが死んで絶対ショックだったと思うし、まぁそれはあたしも同じなんだけどさ」
「坂下は強いよ」
「あは、そういうお世辞は今はいらないよ」
「だな、悪い」
「結局さ、心中自殺ってことになったんだよね」
「あぁ、確かな」
「谷口さんが、吉住の子を妊娠してたってことになって」
「それがな、どうしても腑に落ちないんだ」
「ん、なんで浮気したんだってこと?」
「そういう意味もあるけどな。なんていえばいいのか。俺は谷口が浮気してたとしたら、浮気に全然気がつかなかったんだ」
「うん」
「ここからは俺の谷口に対する信頼みたいなものだからあてにならないけど、それはやっぱり谷口が浮気なんかするような子じゃなかったからだと思うんだ」
「あは、やっぱりそう信じたいよね。あたしも吉住が浮気するような男だったなんて信じたくなかったしね」
「仮に浮気していないとすると、の話だけど」
「ん」
「その妊娠してた子ってのは俺の子供ってことになるだろ」
「そうだね、そしたら何で一言も相談してくれないのかって話になるよね」
「そういう状況ならもちろん相談して欲しかったし、それに」
「うん」
「俺が谷口を初めて抱いたのは、あいつが自殺する本当に直前なんだ」
「え、そうなんだ。…あー、ってことはやっぱり吉住の子を妊娠してたってことになるんじゃないかな」
「でもな、谷口は処女だったんだ。だから吉住との子を1週間足らずの間に妊娠する、…というと少し違うな。1週間足らずの間に吉住との子を妊娠したと知ることはできなかったはずなんだ」
「え、じゃあどういうこと?」
「俺は、谷口の自殺の理由が吉住との子供が出来たからなはずがないと思ってる」
「うん」
「今思うと二人が自殺してから何ヶ月か経ってから、実は妊娠していたらしいって噂が出てきた気もするんだ」
「言われてみればそうかもしんない、ほとんど覚えてないけどさ」
「それはただの噂だったのかもしれないし、誰かが意図的に流したのかもしれない」
「意図的に?」
「さらに話は飛躍するけど、もしかしたら二人は心中自殺したんじゃなくて、殺されたんじゃないかと思ってる」
「あー、じゃああたしと似た考えなんだね」
「坂下もそう思ってるのか」
「うん。谷口さんが初めてだったとかそんなのは知らなかったから、別のアプローチだったんだけどね」
「ちょっと聞かせてくれないか」
「鬼塚は知らないかもしれないけど、あたしたちが卒業した次の年に、うちの校長がちょっと汚職やって捕まったんだ」
「あぁ。俺の記憶にはないけどな」
「で、そういう証拠って多分校長室にあったと思うんだけどさ、あたしと吉住と谷口さん、多分いっしょに校長室を掃除してた頃があるんだよね」
「坂下が言いたいのは、谷口と吉住がその証拠を見つけてしまったかもしれない、ってことか」
「うん。もちろん根拠とか全然ないんだけどね。なんとなく校長に殺されたのかもなー、って考えてた。吉住ってどこかそういう正義感が強かったしさ、女ったらしの癖にね」
「あぁ、そんな覚えもあるな」
「でも、何も証拠がないんだー。だからもしそうだったとしても、なんにもできない」
「そうだな、それにもう時効が過ぎた」
「だね、20年も経ってるんだもんね」
「時効が過ぎてるし誰か本当のことを喋ってくれることを期待して今日来たけど、誰も喋ってくれないというか、露骨に嫌な顔をされるばかりだったからな」
「クラスメートが受験を控えて心中自殺とか、みんな思い出したくないんだろうね」
「坂下」
「な、なによ」
「ありがとう。話を聞いてくれて」
「お礼を言うなら黒木くんに言ってよ。黒木くんが教えてくれなかったらあたしだってこの話はしなかっただろうし」
「そうだな、でも俺、黒木の近況とか全然知らねぇわ、そういえば」
「あはは、なんかそういうとこ鬼塚らしいね。本川っていたじゃん。ちょっとクラスの中心人物的な」
「あー、あのうるさい奴な」
「そうそ、本川と黒木くん、同じ大学でさ。いつのまにか結婚しちゃってた」
「へー、そういえば高校のときからそういう話あったな。あのころから付き合ってたんじゃねぇのか」
「もしかしたらそうかもね、だとしたら結構長いよー。もう20年以上連れ添ってるんだね」
「あ、運転手さん、そこ右曲がって」
「そだ、ね、鬼塚、今日うちでさ、飲みなおしたりしない?」
「…あー、悪い、そういう気分じゃないな」
「そっか、無理言ってごめん、あはは」
「悪いな」
「あたし、もう真相なんてどうでも良かったんだけど、なんか今日ので思い出しちゃったよ、いろいろとさ」
「あぁ、でも坂下のおかげで何となくわかったような気がするよ」
「ごめんね。…あんまり役に立てなくて」
「いや、俺にとっては十分だった」
「そっか、そう言ってくれると嬉しいかも」
「あぁ、ありがとな」
「うん、じゃああたし家そこだから、もう降りるよ。すいません、そこ右入って5軒目停めてくださーい」
「タクシー代は払っておくよ」
「あ、うん。ありがと、それじゃ、バイバイ」
「あぁ、さよなら」


世界は100人の村(プロローグ)

いのちはめぐるものだと知っていた。


「ね、ユカ姉はどうしていつも僕に付きまとうの?」
すっかり風の吹かなくなった草原で、ロングスカートを履いた(これがまたよく似合っていると思う。フリルがついているのは私の趣味だ)男の子が私に尋ねた。 あまりに突拍子な質問だったので思わず私は少し噴出してしまう。
「なんで笑うんだよ。そんなに変な質問だった?」
「うぅん。別にそんなことないよ」
「じゃあ笑わないでもいいじゃないか」
コシヤはまだ8歳なのに少し大人びた仕草をする。その仕草は私が教えたものだ。 仕草だけではない、服や靴や身に付けるもの、そしてその喋り方も全て私が仕込んだものだ。 もう少しコシヤが大きくなったら、あの人が吸っていた煙草も教えるつもりだ。あの少し気取った香りはコシヤにとてもよく似合うだろう。
「ね、なんで付きまとうんだい?」
「コシヤにもいつかわかるよ」
「いつかじゃなくて今教えてよ」
コシヤの両親は、私が彼を毎日のように連れ出すことに何の文句も言わない。 彼らは今とても幸せだったし、私がこうすることがコシヤにとっての幸せだとおそらく理解していたから、何の文句も言わない。 それがこの世界での常識だったからだ。
「じゃあこうしよ。私に鬼ごっこで勝ったら教えてあげる」
「ずるいよ。ユカはいつも本気で逃げるじゃないか」
「男の子なんでしょ、女の子くらい簡単に捕まえてみなさいよ」
「ユカはいつも無茶を言う」
「はい、それじゃスタート!」
私はそう合図すると、スカートの裾を持って走り出した。 コシヤが慌てて追いかけてくるのを尻目に、私は走った。風はなかったが、走るのはいつだって気持ちが良かった。
遠くで祭りの始まる音がするのが聞こえていた。きっとヨスイさんの息子が無事生まれたのだろう。 私はタルじいさんが死んでもう10ヶ月も経っていたことに少し驚きを感じていた。 あのときと比べるとコシヤはだいぶ大人になっていた気がした。


夏が死んだ日。

#1

カナカナが泣いていた。
いつもならただうざったいだけなのだろうが、
今日はカナカナの鳴き声も耳にあまり入らない。
カナカナカナカナ、ガタン。

白衣を着たお爺さんが窓を閉じた。とたんにカナカナの鳴き声は聞こえなくなった。
室に残ったのは、彼女の母親と、彼女の妹の、すすり泣く声だけだった。
医者が最後まで窓を開けていたのは、多分彼女が死ぬ前に何気なく言った、 蝉の一生は儚いよねという類の言葉を間に受けてのことだったのだろうとふと思った。
夏に死んでいく患者の中には自分と蝉を重ね合わせている人もいる。
そして蝉がいとも簡単に死ぬように、自分も簡単に死んでしまうのだろうと、自己投影してしまう患者だっている。
彼女は、まさにそうだった。
彼女は、きっと蝉だった。

彼女の妹のすすり泣く声がやむ。瞼ははれぼったい。
これ以上泣いても無駄だと、彼女が帰ってくるはずがないと判断したのかもしれない。
母親はまだ泣きやむ様子もない。

ふと、彼女の死に顔を見る。
夏が大好きで、麦わら帽子と白いワンピースが似合う
―――嫌がる彼女に俺が半ば無理矢理着せて向日葵畑で記念写真を撮っただけだが―――とても白い肌だった。
白い肌? 本当にこんなに彼女の肌が白かったか、思い出せなかった。
死んだから、
もう血が通っていないから、白く見えるだけかもしれない。

窓を閉じたせいで、冷房の風がちょうど俺の前に吹き込んだ。
暑いよりは涼しいほうが好きだったが、俺は彼女を偲ぶ意味もこめて少しくらい暑さに浸ってもいいかなと思った。
病院を出ると、やっぱりカナカナが泣いていた。
俺も泣きたいというのに、先に泣かれてしまっているのだから俺はなんだか冷めてしまって、泣くこともできなかった。 ズルいよなと思った。先に泣くのも、そして先に逝くのも。

ともかく、ちょうど夏も終わろうとする頃に、
なつは死んだ。



#2

カナカナの声がとうに止んでしまって、クールビズとやらが終わってしまっても、暑い日が続いていた。 今年の夏は例年より、長くて暑い。
昔は暑いのが嫌いだったが、今は暑いのが苦というわけではなかった。
夏が俺の近くにいてくている、そう考えるようになったからだろう。
だから、電力がどうのこうの、温暖化がどうのこうのなんてどうでもいいことをいって冷房を弱めてくれるのは今の俺にとっては都合がいい話だった。

彼女が死んで、
十日くらいは多分俺は仕事で使い物になっていなかったはずだ。はずだ、というのはやってしまったはずのミスすら覚えていないからだ。
それでも俺の通常は戻ってきた。いつのまにか、彼女がもういないことを受け止めてしまっていた。不思議なものだ。 彼女が生きているうちは、もし今この娘がいなくなったら俺も死んでしまうかもしれないなんてメランコリックに考えていたのに、
結局俺は、生きている。

煙草は吸っている。
彼女にはずっと止められていたが、習慣になってしまうとなかなか止まらないものだった。何より、今となっては止める理由はもうないだろう。 飯だって普通に食べている。まずいものを喰えばまずいと言うし、うまいものを食べれば少しは幸せな気分になれる。

何かぽっかり大きな穴があいたままだけど、俺はこうやって生きているんだなーと思いながら煙草をまた吸う。 それはもしかしたら、夏を過ぎたというのに残るこの暑さが俺を癒してくれているからかもしれない。

ときどき不意に射した眩しい陽光や、少しずつ消えかけていく夏の匂いに、彼女を感じているからかもしれない。

特に今年は、残暑が厳しい。喜ばしい限りだ。



#3

11月になっても、暑かった。
どうも、異常気象とかそういうのではなく、俺だけが暑いらしい。 俺の周りはみんなとっくに生地の厚いスーツだし、天気予報も平気で氷点下の数字を出す。 道行くカップルはさもあったかそうに手を絡ませて歩いている。 雪が降ることもある。まださすがに積もってはいないが、この分だと時間の問題だろうと思う。

それでも俺は暑かった。
スーツなんて着て仕事なんてたまったもんじゃなかったけど、 変人に思われて友人をなくすのは勘弁だったので、頑張って俺はスーツを着ていた。それは苦行でしかなかった。大量の汗に、結局同僚に訝しがられた。

不思議なことだった。
そういえば、彼女が死んだあの日から俺は寒いと思ったことが一度もなかったのだ。 俺のなかで、彼女のことが少しずつ思い出に変わりつつあっても、 俺の中で夏はまだ生きているのだと思った。
夏の匂いも、夏の暑さも、全部俺の周りに残っているのに、 彼女の匂いや、彼女の体温はもうなにひとつ残っていない。本末転倒。悲しい話。

どうせ残るなら彼女に残って欲しかった。 もし、今彼女が現れたら俺はなんていうだろう。 やっぱり、愛してるとか、おかえりとか、そんな何気ないことを言えるのだろうか。 彼女は俺の中でどんどん夏になっていった。

思い出すのはなんだろう、 無理矢理に誘って観にいった向日葵畑、 はじめてセパレートの水着を拝ませてもらった海岸、 友達のおかげで最高の場所で見れたみなとみらいの花火大会。
あぁ、全部、夏だと思った。やっぱり、彼女は俺の中で夏だったのだ。 名前だけじゃなくて、本当に彼女は夏の女神で、夏の象徴で、夏そのものだった。

その歳の終わりに、俺は辞表を出した。 暖房とスーツと靴下に、いつのまにか耐えられなくなっていたからだ。 同僚は心配してくれたけど、まさか信じてくれるはずもないだろうし、 俺はアパートに半袖のTシャツで引篭る生活を始めた。 彼女と、入院する直前に選んだTシャツだ。 よくわからない見たこともない言語がデザインされたTシャツ。デザイン違いで3枚。 意味なんかわかるはずもないけど、俺が意味をつけることが許されるならば浮かんだイメージを訳にしてしまおう。
夏は終わっていない、と。



#4

ちょうど彼女が死んで1年が経というかというある夏の日に、俺は自販機の前で妙な女を見つけた。 この30度を超えるような日差しの中でその女はまるで原付に乗るときにでも着るような暑そうなコートを着て、 あたたかいコーヒーのボタンを押していた。俺は思わず声をかけてしまっていた。

「寒いですか?」

女は怪訝そうな顔で俺を見た。

「俺は暑いんすよ、ずっと」

ずっと、という言葉でやっと意味が伝わったのだろう。女はやっと口を開いた。

「私も、ずっと寒いです。ずっと私の周りだけまるで冬が続いてる気分」
「じゃあ夏はつらいだろ。奇異な目で見られて、それでも寒いし」
「ええ、夏は過ごしづらいです。でもそれはあなたが冬につらいのと同じでしょ?」

女ははじめてそこで笑顔を見せた。笑ってないときは少し地味な顔立ちだったが、笑顔はこの女の可愛さを引き立たせた。 俺はもしかしたらそこで1年ぶりの恋に落ちたのかもしれない。
真夏の日差しのなかで。
夏の陽のしたで。
夏のしたで。
夏に。
夏。

彼女の連絡先を聞いた。わざわざそんな格好であまり遠出はしたくないだろうこともあって、彼女の家はうちからそう遠くもなかった。 今度、鍋をしようと冗談ぽく言ったら彼女は笑ってくれた。 半そでに崩れたジーンズの男と、裏地に羽毛が見え隠れするコートの女。 周りからは一体どう見られているだろう。そう思うとおかしくて、不意に笑い出していた。つられて彼女も笑った。

笑顔が。



#5

3度目か4度目かのデートだった。
ちょうど彼女の誕生日が近いということで、みなとみらいの観覧車の頂上でプレゼントを渡したついでにキスをしようと目論んでいた。

彼女は10分くらい遅れてやってきた。 初めて会ったときと同じコート。10分遅れてくるのも前のときと同じだった。 その10分の間に自分とのデートのことを想像して楽しめるでしょ、なんて彼女はくだらない言い訳を前回はしていたが、 そういう奔放なところになんだか余計に惹かれてしまっているような気もする。

「ごめんごめん、電車が混んでてさ!」

電車が混んでも遅刻の言い訳にはならないなんてことをツッコむほど俺は野暮ではない。 そのまま彼女の手を掴んで観覧車の方へ向かった。 彼女の手はとても暑い。彼女にとって俺の手はとても冷たいらしい。 なんだか正反対で面白いよね、と言ったことがある。 そのときも彼女は笑った、俺のとても好きな笑顔で。

観覧車は混んでいなかった。 そりゃそうだ、今日は土日でも祝日でもないなんの変哲もない平日だ。普通のカップルは仕事に学業に勤しんでいる時間だろう。 二人とも引篭りに近い生活をしているから、別に平日だって簡単にスケジュールを合わせることができるのだ。これは嬉しい誤算であった。

「チケット2枚ください」

だいたいの場合は俺がおごることになっている。 こういうときにときどき、前の彼女とはワリカンが多かったなと思うことがあったが、そういうことを思い出す回数もだいぶ減ってきた。

チケットを買うとすぐに観覧車に乗れた。当たり前の感想だが、回っている、そして上っていく。俺たちは互いに改めて反対側に座った。

「前の彼女と、ここに来たことあるでしょ」

あんまり話したくないことを言われる。答えたくないので俺ははぐらかすことにした。

「ここから見える景色って一番好きな景色だから、そのとき一番好きなヤツと観たいって思うのは自然じゃね?」

我ながらはぐらし方が下手なうえにクサイと思った。これは少し恥ずかしい。 それでも彼女はなんとなく納得はしたようで、上機嫌な顔ではにかんでいた。
観覧車はゆっくりのぼっていく。
そのうち、本当に俺が好きな景色が見えてきた。 別にさっきのはその場限りのごまかしだけで言ったのではない。 本当に、俺は横浜の夜景が好きなのだ。 頂上に近くなってきたので、ポケットから包みを出す。なに、中身はあんまり高くもないただのネクレスだ。 引篭りにそんな高価なものが買えるわけがない。

「なに、もしかして誕生日プレゼント?」
「そ。ちょっとはやいけどな、誕生日おめでとう」
「ありがと、すごくうれしいよ」

彼女は包みを丁寧にあけて、どことなく「℃」という字に見えるモチーフのネクレスを取り出すと自分の首につけた。 本当はつけたところを見たかったけど、厚いコートのせいで、ネクレスは内側に隠れてしまっていた。

「ほんと、ありがと」

彼女の顔がゆっくり近付いてくる。

そして自然と、唇がくっついた。
彼女の唇は、寒かった。
途端に背筋がゾクゾクとして、寒気が体全体を襲った。

寒い。
寒い。
寒いってこんなに辛いものだったっけ? よくわからないが、身体中から熱が逃げていく感触がわかった。 これを寒いというのなら、彼女は今までよくこんな嫌な感触に耐えて生きることができたものだと思った。 いや、そんな考えをめぐらせる余裕も本当はないくらい、とにかく寒かった。
寒い。
寒い。
寒い。
寒い。
寒い。
温度が欲しい。
目を開けようとしたがまぶたが凍ってしまっていて開かなかった。 もし、俺がこのままこの感触に負けて絶対零度で凍え死ぬんだとしたら、彼女は600Kの高温で焼かれ死ぬのかな、 などとどうでもいいことが一瞬よぎったがすぐに掻き消えた。 耳も凍ったのか何も聞こえない。 口も凍ったのだろう、何も喋れない、いや喋れてたとしても聞こえないだけかもしれない。
俺は叫んだ。

「なつ!」

今までは夏がいた。夏がおれのまわりを包んでくれてたから、俺はずっと暑かった。

「なつ!」

叫んでも返事はない。そもそも叫べてるのかどうかもわからない。寒い。

寒い。
寒い。
寒い。
寒い。
寒い。
寒さの中で、ひとつだけ悟った。
それは、夏が、死んだということだった。
そして、今までの熱もまとめて、俺からもっていって、それから、それから、それから…。

寒い。
寒い。
寒い。
寒い。
寒い。





バス停で僕らは祈った(仮)

傘は二つ。赤と黒。彼女の傘はちょっとオシャレな赤い傘で、僕の傘は紳士用のずっしりと重い黒い傘だ。 雨はやまないし、停留所の屋根からは当たり前のように水滴が落ちてくるので、傘は必須なのだった。 さっきポケットから出したばかりの小型ラジオからはいかにも梅雨といった感じのインストゥルメンタルが流れていて、余計に雨の寒さを際立たせている。

「寒いね」

僕はなんとなく彼女に尋ねてみた。彼女は傘をあげてこっちを向いて応えた。

「うん、早く家に帰らないと風邪引いちゃうよ」
「あぁ、早く帰らないとな」

小さな町だから、バスは1時間に1本しかなかった。 僕はちょっとした用事で油断して、今日はあと25分以上もくる予定のないバスを待ちつづけているところだった。

「いろいろ訊きたいことあるんだけど、いいかな」

ちょうど僕は彼女に訊きたいことがたくさんあったので、この25分間は僕にとって実は運がよかったのかもしれない。

「あたしに、訊きたいこと?」
「そ」
「別にいいよ、変なことじゃなければ」
「変なことって?」
「あー、ファーストキスはいつとか、どこでとか、…ってもう!そういうこと言わせないでよ」
「ごめんごめん」

目の前を車が通り過ぎる。水溜りを高速で走りぬけたせいで、僕も彼女も、少し水を浴びてしまった。

「えっと、その。やったのかな」
「変な質問はだめって言ったばっかじゃん」
「えーっと、そっちのやるじゃなくてね…」
「あー」
「んと、訊き方変えるよ。殺したのかな」
「んー」

少しの間だけ沈黙が走る。けれど彼女はすぐに逆に僕に質問をした。

「誰を?」
「誰をって言われるとちょっと難しいな…うーん。じゃあ小池は?」
「殺したよ」
「じゃあ黒田もいっしょに?」
「うん。そのとき殴られちゃった」

そういうと彼女は傘を持ってない方の腕をめくり、肌を僕に晒して見せた。白い肌は少しだけ青黒く変色していた。

「有瀬さ、十日前から行方不明になったじゃん」
「うん」
「あれもそうなの?」
「半分正解で半分はずれかな。タカユキは自殺しちゃってた」
「有瀬が自殺…」
「で、あたしが最初に見つけちゃって遺書読んじゃって。んで、タカユキの遺体は埋めちゃった」
「遺書は残ってるんだ?」
「うん。タカユキ悩んでたんだって。クラスの連中に脅されてる、って。あたしには何にも教えてくれなかったのになー」

彼女はそこまで言うと、傘を一旦閉じて、もう一回勢いをつけて開いた。 たまってた水滴がパサッと心地よい音を立てたのだろうけど、それもすぐに雨の音に混じって消えた。

「脅してたやつの名前は載ってたんだ?」
「うん」
「クラス全員載ってたのか?」
「うぅん」
「じゃあなんで全員やったんだ?」
「なんか、あたしだけ質問されすぎでずるいよ。あたしからも質問してい?」
「え、あぁ、いいよ」
「いま、好きな娘、いる?」
「なんだよそれ、変な質問じゃん」
「もしいたらさ、殺しちゃって悪いことしちゃったなーって思ってさ」
「いてもいなくても、悪いことだよ」
「あはは、ごめん。その通りだよね」

彼女の頬は濡れていた。僕の頬も濡れていた。僕のはきっと雨のせいだから、彼女のそれもきっと雨のせいだろう。

「生きてて、楽しい?」

不意にそう訊かれた。

「え、いや。楽しいときもあるけど、そうじゃないときもあるよ」
「割合ってどのくらいかな」
「いいことも悪いことも1対1くらいなんじゃねぇかなー」
「違う違う。楽しいことと、そうでないことの割合」
「そうでないこと?」
「例えば、寝てる時間は楽しい時間じゃないじゃん」
「えっと、どんくらいだろ。1対20くらいになっちゃうかな、そしたら」
「だよね。あたしと同じくらいだ、ちょっと安心しちゃった」

いつのまにかラジオは猟奇殺人に対する考察のコーナーに変わっていた。 コメンテーターが、犯行に使われたナイフは事件のおきた学校の近くの金物屋で売っているものと一致したことや、 指紋が検出されたこととかそういう細かいどうでもいいことを伝えていた。

「あは、違うよ。あのナイフは去年タカユキと一緒に街に出たときに、いつか同棲するならこういうのも必要だよねって2人で言って買ったナイフだよ。マスコミっていいかげんだね」

僕は何も言えず、立っている彼女を見ていた。

「この後はどうすんの?」
「ん、高沢くんを殺せたら殺して、自殺かな」
「俺も殺されるわけだ」
「うん、みなごろしだよ」
「なんで俺が最後なんだろ」
「身に覚え、ない?」
「ちょっと思いつかないな」
「そっか。そんな些細なことだったんだ」

僕は彼女と僕の会話が噛みあわなくなりつつあることに気がついた。 そもそも彼女が言っていることには最初からわからないことが多すぎた。 僕と小池と黒田は確かに、貸してたお気に入りのCDを傷物にされたことで「次にやったらマジで殴るよ」と言った覚えはあるが、それを有瀬が本気にしたとも思えない。

「有瀬の復讐で、俺らはみなごろしになったわけだ」
「うん。関係ないひともいたけど、せっかくだからって思って」
「じゃあ本当に殺したかったのは」
「小池君と、黒田君と、高沢君だけ、かな」
「モモエは殺さなくてよかったのか?」
「…えっ」
「内川百恵は殺さなくてよかったのかな、って思ってさ」
「なーんだ、知ってたんだ」
「あぁ、俺と有瀬は親友だったからな」
「そっか、小さい頃から友達だったもんね」

ふと腕時計を見ると、まだバスが来るまで10分はあった。 雨はやみそうにないし、傘も万能ではないので僕の足元はだいぶ酷いことになっていた。

「やったの?」
「何を?」
「やったの?」
「…誰を?」
「有瀬」
「…うん」

また車が通って、足元が少し濡れる。風もどうやら少し出てきたようで、さっきよりますます寒く感じる。 濡れつづけているせいというのもあるだろうが。

「有瀬が自殺するって、ありえないんだ」
「なんでかな」
「誕生日、来週なんでしょ?」
「うん」
「いなくなる前日に相談されたんだよ。何あげたら浮気許してくれるかなって」
「…へぇ、あはははは」
「すっごい悔やんでたよ。誘われてついついやっちゃったんだ、ってさ」
「あはは…、後悔しても遅いよ。タカユキも、後悔するくらいなら浮気しなきゃよかったのに」
「…だな」
「あたしも、後悔するくらいならこんなことしなきゃよかったのに」

彼女はフラっと道路の方に歩き出した。 あと2〜3分もすればバスがやってくるだろうが、車は滅多に通らない道路なので轢かれる心配はないだろう。 傘を放り出したせいで彼女はもうビショ濡れだった。

「有瀬、かわいそうだな。濡れ衣着せられて」

僕がそういうと、彼女はものすごい勢いで手に隠し持っていたナイフを僕のわき腹に突き立てた。 そうそう、殺すときは指紋がつかないようにちゃんと手袋をつけて、だよ。僕は心の中で最後にそう思った。


君は僕を最期まで抱きしめてくれるか

世界が狂っているのか、僕が狂っているのか、僕にはもう区別がつかなかった。 周りは全て信じない方がいいだろうと思った。霧の中で僕はもう北と南の区別もつかない。 三半規管なんてこんな状況じゃあてになりやしない。 野良犬の遠吠えがやけに多く聞こえて、僕の神経が一瞬だけ研ぎ澄まされた。 僕は思わず棒を構える。視界がぐにゃりと歪む。何か、いる。
目をこらした僕の目の前にいきなり現れたのは見たこともないような生物だった。 二本足で立っていて、一見すると人間に見えなくもないが、体全体が泥のように腐っていた。 ゾゾゾッと背筋が寒くなるのがわかった。僕はおもいっきり棒でその生物を殴った。ぐにゃっと嫌な音がして、その生物はそのまま倒れこんだ。
腐敗臭。
思わず嗚咽。
起き上がろうとしたので思わずもう一度顔面に棒をつきたてる。ぐにゃ。 気持ち悪さと快感の入り混じった感覚が僕を支配していた。ぐにゃ、ぐにゃ、ぐにゃ。 何度も何度も、起き上がろうとするたびに、何度も何度も、殴って突いて叩いて。 どろどろに溶けたその生物にはもう何の面影もない、ただの泥だまりだった。 ぴちゃっ。泥が地面に落ちる音。
僕は棒を拾うとまた歩き出した。霧でよく見えないが、感覚は鋭敏で、さっきのような生物がたくさんうろうろしているのが理解できた。 恐怖感から僕は思いっきり棒を振り回した。それくらいしか僕にできることなんてない。 ぐにゃっと何度もぶつかる音がする。ぴちゃっ、ぐにゃ。
ぴちゃっ。
僕はいつもと同じように学校に向かうことにした。 僕が狂っているのか、世界が狂っているのか、僕には区別がつかなかったからだ。 途中で友人のSと出会う。
「よぅ、元気か」
僕は思いっきり棒で殴りながら挨拶をする。友だち同士ならよくやる戯れだ。ところが友人のSはそのまま倒れた。ぴちゃっ。
「そうか、元気ならよかったよかった」
僕は満足してもう一度今度は顔面を殴りつけた。泥のような液体が飛び散る。 一瞬、血液かなとも思ったが、僕の記憶によると血の色はこんな汚い色じゃないはずなのでこれはきっと血じゃない。 血の色ってのはもっと毒々しくて、それでいて何か惹かれるもののある、形容にしがたい綺麗な色だったはずだ。 だから僕はもう一度思いっきり殴った。
「よし、それじゃ学校行こうぜ」
倒れて半分泥のようになっているSの体を引っ張りながら僕は学校へ歩きつづけた。 だが、Sは液状になってしまってなかなか引っ張れないので僕は愛想をつかすことにした。
「おいおい、遅刻してもしらねぇからな」
学校への道を歩く。霧が出てるせいか適度な湿度感が気持ちいい。ぴちゃっ。 前を歩いているのは僕がずっと前からほのかに恋心を抱いているKちゃんだった。
「よっ、おはよ」
僕はKちゃんに話し掛ける。
「え、いや…なによ、それ…」
Kちゃんは笑って僕に応えた。
「今だから言うけど、俺、Kちゃんのこと、ずっと好きだったんだ」
僕は唐突に愛の告白をした。告白するなら今しかないと思ったからだ。このチャンスを逃してはならない。
「い、嫌ぁーーー」
Kちゃんが倒れこむのが見えた。どうしたんだろう。僕が思わず手に持った棒で顔面を殴りつけたのはわかるが、だからといって倒れこむ理由にはならない。 Kちゃんが何か言おうとしていたようだが、きっとそれは告白に対するOKの返事だったに違いない。これで僕たちは立派な両思いだ。 倒れこんだKちゃんに僕は覆い被さって、そして棒で何度も殴った。だって僕たちは恋人同士なのだから、それくらい、問題ないだろう。 本当はもうちょっと人の目につかないところで致すべき行為なのかもしれないが、僕はまだ若くて性欲に突き動かされてしまうことだってあるのだ。 だから、僕は棒で何度も殴った。そのツインテールの似合う頭を、かわいらしい顔を、ほそくて白い首を、その少しだけ膨らんだ胸を。
僕は唐突に気がついた。僕が今まさに両思いとなり人前で致すには憚られるような行為をしていたと思っていたKちゃんはそこにはいないのだと。 そこにあるものはKちゃんであってもはやKちゃんでないので僕は唐突に興味を失っていた。それは失恋だった。
ぴちゃっ。泥が地面に落ちる音。
よくみると僕の左手は泥のようになっていた。右手で左手を触ってみると、どろっとした感触で気持ち悪さと快感を僕は催した。 さっきからぴちゃっという音は、左手が腐っていく音だったのか。 僕はもう何をどうすればよいかわからなかったので、Kちゃんの泥だまりの上に覆い被さって考えることをやめるようにした。 狂っているのは、僕じゃない。だから、僕は何も悪くなんかない。
悪いのは世界で、
悪いのは遅刻確定のSで、
悪いのはKちゃんで、
悪いのは僕以外の全てだった。