8月20日 第100話 「エレジー」

 

8月も終盤に入り、暦の上ではとっくに秋になってしまっているというのに、この暑さは治まる気配を見せない。

相変わらず、蝉たちは最後の力を振り絞ってとてつもない騒音を奏でている。

公園のベンチに座っている1人の40代後半の男性は、正直暑さにうんざりとしていた。

しかし、彼の場合、憎むべきものはこの暑さではなく、世の金回りの悪さ。すなわち不況そのものであった。

もっとも一般にリストラというものとは厳密に言えばズレが生じているのだが。

 

太陽が最も高く登るころ、近所のマンションに住む子供達が男性の元に次第に集まってくる。

「ねぇ、いつもの手品見せてよ!」

無邪気な声で天使達はそう言い、また男性もその声についつい乗せられて

昔取った杵柄とでも言うのだろうか、天才的なマジックを子供達に見せて上げるのだ。

 

そう、それはたかだかマンションの隣にある公園でたった何人かの観客のためにだけに存在するレベルではなかった。

息をのむトリック、素晴らしいイリュージョン。

本来ならば、大きなコンサート会場で何万人もの観客に騒がれてもおかしくはないレベルであった。

もっとも、小さな公園に大がかりな仕掛けを用意できるわけもなく、

結果、彼が見せているマジックは繊細で鋭いタイプのマジックだけであったのだが。

 

今日も今日で、その「小さなショー」が終わると、子供達は一斉に拍手をした。

「すっげぇー!」

「おじさんかっこいい!」

 

「ねぇ、なんかタネ教えてよっ」

 

1人の6,7歳の女の子が不意にそのようなことを口にした。

「ごめんな、マジシャンってのは絶対にタネを人に喋っちゃいけないんだ」

女の子はぶーと文句をたれて、そして男性をちょっとにらみつけると

おそらく母親の待っているであろうマンションの方へと走っていった。

 

「こう見えても、おじさん昔はテレビでも活躍してたんだよ」

 

ある日、「小さなショー」が終わったころ、彼は不意に口にした。

「えー!?でも僕、おじさんの顔も声も、テレビで見たり聴いたりしたことないよ?」

それはその通りであった。

「おじさんが活躍してたのはもう何年も昔のことなんだ。だから多分きみたちは見たことないはずだよ」

「ちぇ〜、つまんないの〜」

 

子供達がみんないなくなってしまうと、男性は胸ポケットから煙草を一本取り出し、火を付けた。

仕方がないことなのだ。時代は流れている。

だから子供達が自分のことを知らなかったのは当然のことだ。

 

まだ吸い終わっていない煙草を地面に落とし、革靴で踏みつぶして火を消すと男は立ち上がり

行く宛てもなく、歩き始めた。

 

目をつぶると、自分の出演した旭化成のサランラップのコマーシャルがまるで昨日のことのようにありありと浮かんできた。

 

かつて、トランプマンと呼ばれた偉大なるマジシャンがいた。

だがその彼が、今となっては放浪の旅をしていることを知っているのは彼以外にはいないだろう。

 

蝉は、なおも渾身の力を込めて鳴き続ける。

まるで、その生命が存在したことを世界に認めてもらいたいかのように。

 

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