75日間の手記---11月。

11月1日。
面会室で会った父は、前よりずっとやせたように見えた。
「なんであんなことしたの?」「母さんは自殺したんだよ?」
「私だってつらい目にあってるんだよ?」「こうなるって思わなかったの?」
何を尋ねても父は悲しい顔をするだけで、何にも答えてくれない。
私がどんなに涙を流しても、父は一言も答えようとしなかった。
最後に、時間がきて私が出て行くときにたった一言だけ父は言った。
「済まなかった」
悪かったって思うなら最初からしなければよかったのに。
悪かったって思ったからって母は戻ってこないし、私だって戻れない。
父の声を聞いて、私はまた泣いた。
11月2日。
もうすぐ、75日間だけ書くと決めた日記が終わる。
この日記を書き終えた私はどこに行けばよいのだろう。
11月3日。
ふと気がつくと、右手にカッターナイフを持っていて、左手首から血が溢れ出していた。
別に自傷癖があるわけでもないのに、手首を切り刻んでいた。いやだ。そんなのはいやだ。
カッターナイフなんかでいくら切ったって、そんなんじゃ死ねないのはわかっている。いやだ。いやだ。
カッターナイフで手首を切って、私は誰に心配してもらいたいのだろう。
お母さん?それともお父さん?
誰も私のことなんてもう見てくれないなんてこと、とっくに知ってるはずなのに。
11月4日。
母の大事にしていた観葉植物が枯れてしまった。
きちんと水をやっていたのに何故?私のあげた水なんかじゃ汚れていて生きられなかったの?
枯れてしまって、なんだかみすぼらしかったので根っこから引きぬいて生ごみとして捨てた。
捨てたあとに、それが母との大事な思い出だったことに気付いて元に戻そうとした。
でも一度死んでしまったものは、二度と戻るはずがない。
11月5日。
今日から修学旅行。
みんなで飛行機に乗って、みんなでバスに乗って、みんなで旅館に泊まって。
飛行機なんて落ちてしまえば良いのに。
11月6日。
小学校のときは熱を出して行けなくて。
中学校のときは骨折してて行けなくて。
高校のときは父のせいで行けなくて。
やっぱり父のせいだ。私のせいなんかじゃない。私は何も悪くない。
11月7日。
母の洋服棚の中に、見なれない小さなビンを見つけた。
中身はなんだかわからなかったが、一粒飲んでみると急に眠くなった。
11月8日。
母が飛び降りた病院の屋上へ行った。小さな枯れかけた花束が申し訳なさそうにおいてあった。
手すりのところまで行って、下を見てみると意外と高かった。
これが母の最後に見た景色だったのだろうか。母は何を思って足を踏み出したのだろうか。
飛び降りたい衝動に駆られたけれど、私にそんなことはできない。下を歩いている人たちに迷惑がかかってしまう。
11月9日。
人の噂も75日、という言葉があるがあれは本当だったんだなと思う。
ただ、噂はなくなってしまったけど、その代わりに失ったものが多すぎた。
父、母、友達、彼。
みんな私から離れていった。いなくなった。
父のせいにすることは簡単だ。でも父のせいにしたからって、何が戻ってくるというわけでもない。
責任なんてもうどうでもいい。私が苦しんだだけだ。私が泣きじゃくっただけだ。
遺書の書き方も書式も何も知らないけれど、私は75日間書きとめたこの手記を私の遺書にしようと思う。
誰かが私に同情してくれればそれでいい。誰もわかってくれなくたってそれでいい。
とにかく、私は今からベッドで眠ることにする。
眠くなる薬を飲んだ。もう目がさめることはないだろう。
もしこの手記を読んでくれる人がいつか現れたら言いたいと思う。ありがとう、って心から。
平成13年、11月9日、川崎みき。