Na Mg Al Si P S Cl Ar / K Ca

七曲 ドロップス 暗く

■ 新しい朝



早朝のマックに面白い話を書きたいと愚痴ってる男が二人いて、もしかして作家と編集者だったら面白いなと聞き耳を立てていたが、どうやらただのアマチュアのようで興味を失い外にでた。昨日の豪雨が嘘のように晴れ渡っている。

■ 兵どもが夢の跡



その昔、経済は上下を繰り返しながらも成長し続けると誰もが信じて疑わなかった。誰のせいでもないというのは国を含めた投資家達の責任逃れでしかないが、地球は丸いし経済は大きくなる、こんな具合に真実として浸透し、蔓延していた。

そんな時代に策定された計画は、バブル崩壊以後も完全に人間の手を放れ誰にも止められなくなった。泡が弾けるとはよく言ったもので、人が作り上げた虚構の信用=表面張力は、自身が支えられる泡=価値の大きさを見誤った。成長する泡の中で次々と積み上がる実現不可能な計画。誰もが加害者でありながら、尽く被害者に成り得ることを知らなかった。やがてラプラス圧との均衡が崩れたとき、大きく膨らんだ泡は音をたてて弾け飛んだ。

―ばんっ―

「痛いな。俺のせいじゃねぇし。叩かなくてもいいだろ」
「だって。だって…何もないんだよ。私たちの青い春が跡形もなく」
「代わりに20km西に新しい立派なキャンパスできてるから」
「どうでもいいわ。あんなの」
「たしかに俺らにとってはどうでもいいな」
河野はひたすら写真をとっている。ガレキと化した校舎に向かって何度も何度もシャッターをきっている。
「写真まだ続けてるんだ?」
「え?うん。まぁね。大人になっても続けられると思って始めたし」
「あとで送ってくれない?データでいいから」
「更地しか写ってないけど?」
「河野が撮ったってことは何か写ってんだろ」
「怖っ!!」
「そういう意味じゃないよ。青春の面影とかそんなん」
「臭っ!!」
「たかだか数年だけど、文字通り無くなったキャンパスを見ていると郷愁って感じするなー」
「そだね。いろいろあったしね。身に着けるだけで幸せになれるなんて噂に踊らされて近くの100均でハンカチ買ったり、
学園際のとき、同じ講義に出てるというだけでバンドのCDやら同人やら文集やらを買わされたり」
「農学部の農園にミステリーサークルができたってのもあったよな」
「ミステリーサークルだけに推理研が疑われたよね」
「でも俺見たんだよね。前日に緑の光を発する物体がキャンパス近くを飛んでるの」
「怖っ!!」
「ところでミステリーサークルのは何の跡?」
「草っ!!って何?この流れ」
「キレがいいね。昔に戻った気分するよ」
「ねぇ、そんなことよりミステリサークルで思い出したんだけど、私たちの時代の真のミステリって言ったら…」
「山縣教授の失踪」
「謎だよね。行方不明ってね?」
「中国批判の論文出したから拉致されたとか、キャンパス移転実行に異を唱え続けて恨みを買って殺されたとかいろんな噂がたったよな」
「キャンパス移転には利権も絡んでたしね。案外本当だったかもね」
「実際その辺に埋まってたりしてね」
「怖っ!!」
「でも実際埋まってたら腐敗して…」
「臭っ!!」
「今の流れはちょっと無理あるな」
「あんたが言わせたんでしょーが」
「でもさー山縣教授言ってたんだよ。『経済が不安定な今も尚、旧時代の大学移転計画が進行してるのは何故か?』
若かった俺はこう答えた。『重力みたいなものですかね?皆逃れられないと思っている。宇宙は無重力だと誰もが知っているのに』そしたら『それは違うと思うがね。力なんて働いていない。ただの慣性だよ』て言ってた」

―ばんっ―

「痛っ!!なぜ殴る」
河野の方を振り返ったつもりだったが、そこには山縣教授がいて、学生時代と同じように丸めたニュースペーパーを手に持っていた。
「遅れたのは申し訳ないですが、私は死んでません。胃潰瘍で倒れてしまったので大学に連絡を入れられなかっただけです。それも3日後には復帰しました」
「すみません、存じております。あまりに遅かったのでつい寸劇を。お前も謝れ河野」
「すみません」
「それにミステリーサークルは君たちがやったんでしょう。知ってますよ」
「すみません」
「ばれてましたか」
「真相の見抜けない推理研も、推理研としてどうかと思いますがね」
「彼らには申し訳ないことをしました」
「ごめんなさいです」
「さて、そろそろ参りますか。今夜は私の驕りです。遅れた分奮発しましょう」
「あざっす」
「どもっす」
「しかし、2人の掛け合いも実に懐かしいですね」
「でしょう。河野はこう見えて俺のこと好きなんですよ。だから息ぴったりというか」
「そうですか?私は久々に会ってやっぱりこいつうざいと思いましたけど。ところで先生。どうして我々がミステリーサークル作ったってご存じなんですか?」
「その件については、飲みながら話しましょうかね」
「はい。お供いたします」

■ あの日の夕方に聞いた、不思議なお話を



ミケがいなくなった。

もう一週間ほど帰ってきてない。今までだって一日や二日家を空けることはよくあったけど、一週間もいなくなることなんてなかった。玄関においてあるキャットフードはぜんぜん減っていない。妹はずっと泣いてる。妹を見てるとわたしも泣きたくなるけど我慢している。おねえちゃんだから。

猫は死にそうになると住処を離れて山へ行くんだとお父さんが教えてくれた。確かにミケはおばあちゃんだったと思う。わたしのうちの庭に入り込んでいて、夕飯の残りとかいろいろあげてたらいつのまにかうちに住むようになってた。だから何歳かとかわかんないけど、縁側でなんの警戒もせずに日向ぼっこしてる姿とかはまさにおばあちゃんって感じだった。わたしはその話を聞いて、ミケ死んじゃったのかなって泣きそうになりながらお父さんに詰め寄って、それを聞いた妹が大声でわんわん泣いて、やっぱりわたしも泣きそうになった。

学校から帰ったらミケをさがそうと一生懸命走ってた帰り道で、ミケにそっくりな猫を見かけた。
ミケにそっくりな猫はわたしをちらっと見るとニャアと一鳴きして道の先に進んでいった。わたしは急いで追いかけようとしたけど、ミケの足取りは死にそうになった猫とは思えないほど軽やかでなかなか追いつけない。そのうちわたしは山の入り口に立っていた。入り口の右側にはお地蔵さまが立っていた。わたしたちの間ではナギ山と呼ばれていて、男の子たちが悪戯で山に入ってはよく怒られていた。わたしもお父さんに絶対に入ってはだめだよと言われていた。思わずぞっとしたけど、山道の向こうでミケがこっちを見ていた。そしてやっぱりニャアと一鳴きして、踵を返して奥へ奥へと歩いていく。いつのまにか空も赤くなっていて、わたしは迷った。迷ったけど、ニャアというミケの鳴き声が耳から離れなくて、わたしはランドセルをお地蔵さまの前においてミケを追いかけることにした。

山の上には神社があって、お父さんとお母さんと妹と毎年初詣に来ている。でも普段は表の階段から登っていくので、この山道を通るのは初めてだった。木と土だけで作られた階段にやけに足をとられる。雨は降っていないはずだったけど、土がぬちょぬちょと音を立てている。転びそうになって思わず近くの木を掴んだら、そのぬめっとした感触に鳥肌が立って思わず手を離した。支えを失って、転ぶ。青臭い土の味がした。泣きそうになる。帰ろうかなって思う。そしたらニャアとミケの声が聞こえて、階段の上を見上げた。ミケがこっちを見ている。わたしは顔を拭いて立ち上がった。ミケはそれを見てまた一鳴きして、奥へと消えていった。

慎重に、慎重に、土の階段を登っていく。夕日は沈んでしまっていて、さっきまでオレンジ色だった空気が暗い青色に染まっていく。おなかがすいてきて、歩くのがつらくなってきた。我慢してみたけど、ぐうと鳴って悲しくなった。今日の夜ごはんはなんだったかな。シチューがいいな。あったかいクリームシチューがいい。テレビのCMが急に頭に浮かんで泣きそうになった。おうちへ帰ろう、シチューを作ろう。あ、だめだ。泣いちゃう。ごしごしと手で顔を拭いた。泥がついちゃったかもしれない。ミケはそんなわたしを見てニャアと鳴いている。あれ、と思った。ミケの横に、ミケによく似た猫がいた。ミケとそっくりだけど、ミケより若々しくて凛々しいようにも見える。ニャア、ニャア。二匹の猫が鳴いてる。わかった。なんとなくだけど。きっと、ミケの子どもなんだ。いままで一度も見たことないけど、ミケには子どもがいたんだ。

空はもう暗くて歩くのはつらかったけど、二匹のミケを頼りにわたしは歩いていた。そのうちに急に開けたところにでて、ぱーっと明るくなった。よくわからないけど、人の像みたいなのが立っていた。銅像、かな。光っていて、顔とかはよく見えない。ミケはその銅像の下までてくてく歩いていくと、そのまま倒れた。ミケの子どもがぺろぺろとミケを舐めている。わたしはそれを見て悲しくなったけど、ミケの子どもが、心配いらないよという風にニャアと言った。ミケによく似た、凛とした白猫。わたしも、心配しないよという風にニャアと言った。


行方不明のわたしはその日の夜に山の上の神社で寝ているところを発見されたらしい。お地蔵さまの前においてきたランドセルのおかげで、割とすぐに見つけることができたらしく、目を覚ましたわたしは元気に夜ごはんのカレーを食べた。お父さんには怒られたけど、お母さんには抱きしめられた。その日のことは誰にも話していない。ミケの姿をその日以来見ることはなかった。きっとミケはお父さんの言うとおり、どこかで死んでしまったのだろうと思う。そしてミケの子どもの姿を見ることもなかった。あの山道を明るいときに歩いてみたけど、5分もかからないうちに山頂の神社についてしまった。あの出来事はゆめだったのかもしれないと思った。中学校にあがる頃には、思い出すこともほとんどなくなっていた。


大学にはいって、びっくりしたことがいくつかある。

まずひとつは、あのとき山の中で見たのとそっくりな銅像があったこと。それはどうやら学長の像のようで、頭がすっかり禿げあがっていた。それを見たわたしは、なるほど、だからあのときこの像は光っていたのかと納得したのだった。
そしてもうひとつはミケの子どもにそっくりな白猫がその像の近くに居ついていたこと。はじめてその子にあったときにニャアと鳴いたその顔はミケとしか思えなかったけど、その後わたしに鳴いてくれたことは一度もないのがなんだか寂しい。この白猫が学長像にいついてるのは七不思議のひとつだと聞いた。そしてさらにその七不思議は作られた七不思議だということも聞いたけど、わたしにとってはそんな七不思議が作られるずっとずっと前に見た夕方のゆめのなかで白猫が光る学長像に居ついていたわけで、それこそが不思議だよなあと思っている。誰にも言ったことのない、わたしの秘密。

■ ザラキーマ



ぽんぽん。くるり。ぷすり。
振り返ると水城が立っていた。目線を落とすと、すらりと白い指が伸びていて、少し伸びた爪がほっぺたに鋭くささっている。古典的な方法というのは悔しさを倍増させるもので、満面の笑みがなおのこと腹立たしい。
「わははは、ひっかかってやんの。ばーか。」
「お前、爪伸びすぎ。いたいっつーの。」
「岡島は毎度からかい甲斐があっていいわー。」
笑いながら水城は机を挟んで向かい側に腰をおろした。左手に提げられたビニール袋がドサリと目の前に置かれる。くんくん、これはいい匂い。きっとうまい食べ物だ。間違いない。
「この袋の中身は一体何ぞや。」
「では、ここでおまぬけな君に問題です、今日は何の日でしょう?」
「ポッキーの日。」
「ぶぶー、不正解なのでこれは没っ収―。」
「ごめんなさい、申し訳ございません、落葉祭二日目でございます。」
ためらいもなくいい匂いを片付けようとしたので慌てて訂正する。腹が減っているのだ。せっかくのタダメシのためなら小さなプライドなど無用の長物であることはこの二十年の人生で十分学んでいる。素直が一番。意地は二番目。
「よろしい。ほい、差し入れ。」
「ありがたや、ありがたや。」
中にはまだほんのりと温かい焼きそばとから揚げが入っていた。ソースと油の香りがむわりと鼻から入ったことで、無理やりねじふせていた食欲がむくりと起きて、口の中で唾液がじゅるりとでてくる。パチンと割った割り箸がいびつに割れたのは決して食い意地が先走ったからではない、と思う。出来損ない割り箸でから揚げを一個はさみあげ口に頬張ると、さくっとした軽い衣の中からジューシーな肉汁が広がった。これはうまい。今年のテコンドーのから揚げは当たりだな。テコ唐◎、覚えとこう。
「で、どうなの?こっちのほうは。」
「まぁ、暇だよね。文化部展示なんてこんなもんでしょ。そっちはどうだったのよ?」
「大・成・功。まぁ私の演奏のおかげよね。」
「どうりで。ファンがついてきてるわけだ。」
机から少し離れたところでそわそわとこちらを伺っている黒いパーカーの三人組がいた。時計を見ると四時半なので、彼女のバンドのライブはさっき終わったのだろう。確かに水城のギターは一級品だ。女の子独特の繊細さと、女の子とは思えないほどの力強さの両方を持っている。一度ライブを見に行ったが、有名なクラシックの一節をアレンジしたソロを彼女が演奏した瞬間、会場がしんと静まり返ったのを覚えている。人生において息をのむということを経験したのはあの時が初めてだった。展示の番が被ってなければ迷うことなく見に行っていたと思う。本人に言うと調子に乗るから言わないけど。
「暇人よねー。他に楽しいこととかないのかね?」
「可愛そうに。まぁ、今年のイベントと言えばミスコンと学園鬼ごっこと仮装ダンス大会くらいか。ほら、後ろの赤い着ぐるみ。あれ、お前のね。明日はよろしく。」
国民的キャラクターの赤い方をイメージして作られた着ぐるみが部屋の隅っこに置かれている。あまりに無造作に置かれているのでどれが手でどれが足なのか全くわからないただの赤いもっさりの塊である。はたから見ると赤いモップの積み重ねにしか見えない。いや、まぁ、実際モップを赤く染めただけなのだけど。なんか、うちのサークルのやる気とか雰囲気とかが、あれひとつに凝縮されている気がして笑える。
「・・・あれ、いっそのこと燃やさない?で、無かったことにしよう。それがいいって、みんなハッピー。」
「全然ハッピーじゃねーよ。最低一人は出さないと部費が削られるんだよ。」
「私、幽霊部員みたいなもんだから、ドロンさせてくれてもいーじゃん。」
「ドロンは忍者だろーが。それにじゃんけんで負けたんだから今更文句言うなって。」
うちの学園祭実行委員会は学園内ではそれなりに権力を持っており、その権限は文化部の予算編成にまで及んでいる。我が仮想空間同好会はただでさえ予算が少なく、削られてしまうとその数字はチュンチュンの涙ほどになりかねない。とはいっても、やってることはゲームや占いをちょちょいとパソコンでつくる程度なので、そのお金自体はすべて飲み代に消えることになっている。そのタダ酒のために在籍している彼女は、運悪く定例飲み会、もとい定例会議で見事にジャンケンで負け、栄えある大役を授かったというわけだ。しかし、タダ酒のためにも意地は二番目。彼女には見事に散っていただこうと思う。わはは、ざまーみろ。
「おーい、心の声が漏れてるぞ、このやろ。」
「じゃぁ、改めてもう一度。ざまーみろ。」
日頃の恨みはこういうときに晴らしておくべきだ。素直が一番。
「お、何だこれ?ふむ、学園祭鬼ごっこのチラシ?」
焼きそばの下におしこめられてしんなりした紙を取り出してみると、そこには今日の日付とイベントのタイトルがでかでかと書かれていた。油で右端のほうにしみができている。
「それが今日のイベント。ほら、そこに罰ゲームのってるでしょ。」
そばを頬張りながらチラシを見ると、下のほうに男の子と女の子のキャラクターが描かれていた。おぉ、なんとも凄まじい恰好をしている。男の子のほうはバンダナ、メガネ、加えてくたびれたジーンズにシャツをビチビチに入れている。女の子のほうはツインの三つ編みにデカいリボン、こちらもシャツにジーンズ、運動靴という出で立ちだ。横には、『今回の罰ゲームはコレ!!後期の君の生活はこれで灰色!!』の文字。一瞬、焼きそばを口に入れていることを忘れてしまった。
「…実行委員会やりすぎじゃね?」
「だーかーら、燃やそうよ、ね?権力には歯向かうのが若者でしょ。」
「長いものには巻かれるのが今時なんだよ。というわけで、何度も言うが却下。」
あ、こいつ、今ハッキリ聞こえる音で舌打ちしやがった。可愛くねー。
「おーい、まただだ漏れしてんぞー。」
「じゃぁ改めてもう一度。かわい」
その瞬間、から揚げを無理やり口にぶち込まれた。そのせいで、のこりの「くねぇ。」は「ぐふぉぇ。」というなんとも間抜けな音に変わってしまった。屈辱だ。辱めだ。
「岡島には優しさも度胸もないことがよく分かった。君の未来にロクなことはない、断言する。」
「お前の明日にもロクなことがないことを断言する。こっちには根拠があるからな。」
「へいへい、せいぜい勝った気でいなさいな。私にはロックがあるもんね。ほんじゃ、私は友達のバンドでも見に行くとしますか。」
そう言うと、軽やかな笑みを浮かべながら水城は席を立った。もっと食い下がると思っていたので、妙リズムが崩された感じがして不思議な感じがした。ドアの手前まで歩いたところで水城はこちらを振り向いた。やはり軽やかな笑みを浮かべている。
「もう一度だけ聞くけど、今日は何の日でしょう?」
「ん?落葉祭二日め…」
その瞬間だった。
「確保!」「確保!」「確保!」
ドアの外にいた黒パーカートリオが猛然と押しかけてきて、ものすごい力で羽交い絞めにされる。あまりの出来事に「めでしょ?」が「めどうぁ!」なんて音になってしまった。一体なんだこれは?!
「大当たりー。そしてそして、今は鬼ごっこ終了時間の五時。岡島、罰ゲーム決定ー。わははは」
屈辱だ。辱めだ。こいつ、ホントにかわいくねぇ。差し入れを持ってくる時点で怪しむべきだったのだ。こいつがそんな生易しい奴じゃないことは分かっていたのに。
「はなせー、俺は今年こそは楽しいクリスマスを過ごすのだー。」
「却下ー、そのお願いも却下ー。ま、いーじゃん。私も明日には恥ずかしい思いをするわけだし。ほら、仲間。まぁ、私は明日だけだけどね、わはは。長いバンダナに巻かれて今を楽しもうよ、わははははー。」
高笑いを部屋に残して水城は颯爽と走り去った。あの満面の笑みがやはり腹立たしい。笑いの残響が残る教室で、呆然としながら一応聞くだけ聞いてみた。
「あの、ホントに半年間あのかっこしなきゃだめです?」
そう聞くと黒パーカーは息を合わせて、
「です。」「です。」「です。」
と表情を変えずに答えてくれた。それって、まさに死の宣告が凝縮されている気がして笑える。クリスマスの緑と赤がダッシュで雪の向こうに走り去っていくのが見えた気がした。

とほほ、チュンチュン。

■ 今宵の月のように



ないない何もない。
雲か霞か、トイレに行ってる間になにもかも消え失せてしまった。筆箱の中身が。チャックを全開にして逆さに降ってもゴミ屑ひとつ落ちてこない。あ、紙切れが一枚落ちてきた。ノートの切れはしであろう紙に『ルパン、参上!!』と手書きで勢いよく、それはそれは楽しそうに書かれている。
「うーん、ミステリーね。」
隣に座っていた柊キミが、眉間にしわをよせて興味深そうに首を突っ込んできた。あぁ、もう。またか。
「そうなの、びっくりするほどお粗末なミステリー。」
「えぇっ。もう犯人が分かっちゃったの?」
ここまで来るとちょっと可愛くなってくるから、こいつは卑怯だなと思う。最近、甘やかしすぎかしら。
「隣に座っている脳みそお花畑女子が、私がトイレに立った瞬間、私の筆箱をさかさまにひっくり返し自分のカバンにぶちこんだのね。」
「あんたの隣には私しかいないじゃないのさ?」
「日本語がちゃんと通じるようで安心したわ。返して。全部。」
私が手のひらを差し出すと、キミは目を丸々とさせて、自分に指さしまでして、なんで私を疑うのよと言わんばかりの表情をして見せた。ずるいなぁ。可愛いなぁ。馬鹿だなぁ。
「分かった。分かりました。超、超めんどくさいけど、ちゃんと謎解きするから。ひとつ、ひっくり返しても塵ひとつ出てこないのは誰かがひっくり返したから。ふたつ、この紙に書かれてる文字があんたの字。みっつ、そのノートの端の千切った形がまんまこの紙と一緒。よっつ、あんたのカバンから私のお気にのネズミのボールペンが見えている。はい、これで満足?」
そこまで言うと、キミはにやりと満足げに笑った後、カバンからいそいそとすべての盗品を出してきた。
「腕を上げたな、明智君。」
「いやいや、そこはシャーロックホームズでしょ。何よ、今回はルパン?」
そう、この女は思いつきで行動をおこし、それに勝手に私を巻き込むのが大好物なのである。クリスマスにはトナカイの帽子をかぶせられたあげく街頭ライブでタンバリンをたたかされ、バレンタインにはチョコを渡す相手を当日に探すのを手伝わされ、山での肝試しでは本物の幽霊をみつけるといいはり首なし地蔵の真ん前で徹夜をさせられた。私はミステリー専門でホラーは専門外。というか大の苦手な部類なのだ。あの時は首を締め上げてこいつを幽霊にしてやろうかと本気で思った。で、今回はルパン。そういえば昨日のロードショーでやってましたよね、はい。
「うーん、ルパンでいこうかと思ったけどもうやめ。ミス研の部長相手だと分が悪すぎると、痛感しました。無理。」
にこにこと笑いながらあっさりと引退宣言を出した。さすが思いつきで動く女。やめるのもまた風の如しである。
「私の問題というよりあんたの問題のほうが大きいとは思うけど。頭は悪くないのに馬鹿なのよね、キミは。」
実際のところ彼女の頭は悪くない、というかとても良い。一度、二人で成績表をPC上で見ている時に覗き見したら、彼女の画面には優以外の文字はほとんどなかった。ただただ、その頭脳の使い手が悪く方向性が間違っているのだと私を含む皆が思っている。
「本人を前にして馬鹿とはヒドイ。つまらない学生生活を刺激あるものにするべく前向きな私は、ちょっとだけお茶目なレディなのよ。」
「お茶目と破天荒はイコールじゃないのよ、知ってる?」
「え、なにその必殺技?強そうじゃん。」
日本語は通じても会話が成り立たなくなるのはいつものことなので気にしないことにしよう。いちいち突っ込んでいたら身が持たないのもみんな知っている。
「あーあ、ルパン終わっちゃったから、次何しようかなぁ。ねぇユミコ、何がいいと思う?」
「私を巻き込まないものなら何でもいいよ。」
「冷たいなぁ。私がいてのユミコ。魚には水って言うじゃん。」
こういうちょっとした言葉はちゃんと知っているところが侮れないというか、この娘の不思議な魅力だなと思う。内容については断固否定したいけど、その魅力に魅せられている自分もいるわけで、結局入学してから今まで一緒にいることは事実なのである。
「うーん、じゃぁ次はかぐや姫でいこう。秋も近くなってお月見の季節でしょ。というわけで何人か男、紹介して。」
「どうせ実らぬ恋をさせるなら最初からなくてもいいじゃない。」
「いやいや、そのステップあってこそでしょ。そしてお迎えが来て、私は月に帰るの。だって私、もともと宇宙人だもの。」
とうとう彼女は地球人をやめてしまうつもりのようだ。一度しっかりと破天荒の意味についてじっくり教えたほうがいいかもしれないと思った。


キミが男を手玉に取る作戦に全能力を費やしている頃、秋の足音とともにミステリーは訪れた。ミステリー研究会の一部の生徒が面白いものを校内で発見し、部室はその話題で持ちきりになった。なんとグラウンドの裏の草っ原にミステリーサークルが出現したというのである。本来、それをミステリーと呼ぶかはさておき、日頃謎に飢えていた私たちが飛びつくのは実に自然なことで、それを聞きつけたキミがその日の夜のうちに私を誘い出したのもまぁごく自然なことだった。その日の夜は月が丸々と輝いていて、グラウンドの裏を見て回るのにさほど苦労はしなかった。グラウンドから100メートルほど離れたところにそれはあった。直径10メートルほどもあろうかという大きな円が、不自然な綺麗さを保ってそこに存在していた。太ももほどの高さの草が中心から外に渦を巻くように倒れている。
「本当にあった。実物を見るのは私初めて。」
「そうはいないんじゃない。日本全国民にきいてもいたとしても。」
言いながら屈んで、草の折れ目の所を触ってみる。あぁ、やっぱり。綺麗に角がついて折れている。予想はしていたけども、これは――人工的なものだ。顔を上げると満月の光にほほを照らしながら神妙な面持ちでそれを眺めているキミが見えてしまった。いつもとは違う、はしゃぎもしないキミみていると、その事実を告げることが、彼女の心を土足で踏みにじる様に思えて、私はそれを口にしないことにした。
「あーあ、ちょっと早いなぁー。」
「男から誰一人告白されてないのにね?」
「そう、せっかく作戦考えてたのに。まさかホントに来るなんてね。」
「でもお迎えは先に帰っちゃったみたいよ。」
「忘れ物でもしたのよ、また来るわよ。」
そういってキミはしばらくの間、月のほうを見つめていた。


次の日からだった、キミが学校に姿を見せなくなったのは。これまでも三日ほど学校に来ないことは何度かあったので特に気にしていなかったのだが、一週間もの間、欠席を続けるのはこれが初めてのことだった。連絡をしてもつながらない、メールをしても返事が来ない。まさかホントに、と馬鹿げた考えが心の中で湧き上がる。あの日のキミの表情を思い浮かべると、あながち丸っきりの嘘とも思えなくなってきて、私は彼女の部屋へ直接出向くことにした。気づけば早歩きになっていたし心拍数も上がっている。どうやら私の中では、私が思っている以上に、彼女の存在は大きかったことに気が付いた。マンションの三階まで一気に駆け上がって一番手前のドアのインターホンを押した。押してすぐ指を離したものだから、ピンとポンの間が異様に狭くなった。嫌な押し方になったなと少しだけ私は後悔した。でも、そうこう考えていても一向に中から気配がないので、もう一度、今度はちょっと長めにインターホンを押した。やはり先ほどと同じように中からは何の物音もしない。ためらいながらドアノブを廻してみると鍵が開いているようで、するりと手首を廻せるところまでノブは回った。そのままドアを押して中をのぞいて私は言葉を失った。そこは空っぽだった。少し前まで人が住んでいたであろう残り香のようなものだけを残して、あとは何もなくなっていた。左手の靴箱の上に何か置いてあるのに気付いた。見ると見覚えのあるノートの切れ端が置いてあった。
「ルパン参上!!」
裏返してみると真新しく書かれた、いかにも楽しそうな文字で別の言葉が書かれていた。
「かぐや姫、推参!!」
あーあ、戦国武将じゃあるまいし、と思いながら窓の外を眺めると、走る電車の向こうの空が白の混じったオレンジ色に染まっていた。じゃぁね、バイバイ、なんて言葉が心の中から浮かんできて響いた途端、目からポロリと、涙がこぼれ落ちた。



−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


「で、月から帰ってまいりました。久しぶりのただいま。」
舞台衣装とメイクをすっかり落として、キミは打ち上げ場所の飲み屋にやってきた。突然何も言わずにいなくなってから半年。市内の劇団のポスターに柊キミの名前を偶然見つけた私は、その足でチケットを買いに行き劇場へと向かった。舞台が終わったらファンを装って楽屋に出向いてビンタの一発でも食らわしてやろうかと思ったけど、暗幕が開き、舞台で伸びやかに演技をしている彼女をみて、そんな考えはいつの間にかどこかへ消えていた。舞台が終わった後、せっかく花束を持ってきていたし、やっぱりキミと顔を合わせたかったので楽屋に出向くと、スタッフの方に「最終日なので打ち上げがあるので是非」といわれてなしくずしのまま飲み屋までついて行ってしまったという次第である。
「少しは信じちゃった?」
「全く、信じかけた自分が馬鹿みたいだったわ。次の日に学部の事務に行ったら、綺麗に退学届けが出されてて。そんな律儀な宇宙人がいるわけないでしょ。」
「手続きはちゃんとやっておかないと後々、面倒だからね。」
手に小麦色の液体を持ち、カチンとならして、なんともいい笑顔で「乾杯。」という彼女の顔を見ていると、やはりビンタなんてできないなと思った。ずるいなぁ。可愛いなぁ。でも、なんか、逞しくなったなぁと思った。今まで私にとって居心地の良かったあの距離感がなくなってしまったことに寂しさを感じつつも、親しき友の門出を祝福せずにはいられなかった。

■ その店は「アンティーク」



3次会をぶっちしてひとりで入ったその店は大学界隈の居酒屋で、家からも歩いて5分とお手軽で、うまくて安いので時々利用している。
「弘樹さん、何度申し上げたら御理解いただけるのでしょうか。私のことはマスターとお呼びください」
少々変わった感じの店長だが、聞き上手で愛想が良く好感がもてるのもここを利用する理由のひとつである。
「そんなことは酔ってない時に言ってよ。忘れちゃうから」
「はて。弘樹さんが酔わずにいらっしゃった事など記憶にございませんが」
「まぁいいから。それより愚痴聞いてよ。今日最悪だったんだよ」
「今日は落葉祭でしたね。たしか弘樹さんは実行委員だったのでは?」
店長は一度聞いたことは忘れない。また学生からの情報が集まりやすい場所であるためかなりの情報通である。ただし口が真綿のように軽いので注意が必要である。俺は名乗ったこともなければ実行委員であることも店長に喋ったことはない。おおかた以前に友人と来たときの会話を聞いて、俺が弘樹という名で落葉祭実行委員であることをいつまでも記憶しているのだろう。証拠に、苗字でなく名前で呼んでいる。友人達は俺を名前でよぶ。それを耳にしただけの店長は苗字を知らないのだ。俺に苗字を直接聞かないのはマスターと名乗るだけの紳士的マスター道を貫いているからだと、これまでの付き合いから伺える。
「そうなんだよ。今日の不幸の要点を5つにまとめると、その1。ミスコンの前年度覇者が優勝トロフィーを無くしやがって返還できないとほざきやがった。あんなガサツな女がミスなんてなんかのミスなんじゃねえかと思うよ」
「前年度というと佐々木さんですね」
「店長あのくそ女知ってるの?」
「何度も申し上げますがマスターです。彼女はいろんな意味で有名ですから。それにあまり悪くは言わないほうがいいと思いますよ」
「たしかに、敵にまわすとやっかいそうな感じだった」
「そうではなくて向こうの席にいらっしゃいますので」
店長が目配せした。気にはなったが、店長の視線の先から「勘弁してくださいよー」なんて男の声が聞こえて、振り返る勇気がなくなった。
「して、残り4つはなんでしょう?」
「その2。そのミスコンに男が出場して準グランプリをかっさらっちやって。表彰式でづらをとるパフォーマンスに会場熱狂。ぶち壊し」
「それは中原君ですね。確かに彼は綺麗な容姿をしていますし、それに演劇部のはずですから女性の所作もうまく演じたのでしょうね。彼は罰ゲームだとおっしゃっていましたが」
「店長そいつも知ってるの?」
「マスターです。ええまぁ存じておりますよ。しかし弘樹さん、盛り上がったのなら実行委員としては万々歳なのではないですか?」
「おかしいじゃん男だよ?女より綺麗なんてあっちゃダメじゃん。ルール無視じゃん」
「言われてみればそうですねー」
店長はたくわえたヒゲをなでながら呑気な声で言う。
「ちなみに彼もいらっしゃってますよ」
店長の視線は先程と同じ方向を向いており、どうやらくそ女と同じテーブルにいるようだった。ミスコン会場で親しくなったのか、あるいはくそ女に拉致されたのか。
「帰りたくなってきた」
「お帰りですか?あと3つ伺っておりませんが」
「あとは文芸部が詐欺紛いの売り方で文集売って苦情が殺到したのと、体育館のモップが根こそぎなくなって、仮装ダンス大会に出てたムックがバスケ部から疑いをかけられて、体毛というか結局モップだったんだけど、全部ひっこ抜かれて、ムックのムックが露出して公然猥褻になって実行委員が責任問われて怒られたのと、そのムックが実はテコ唐4つで雇われただけの代打だとわかって、あ、テコ唐ってのはテコンドーサークルの唐揚げのことで落葉祭のわりと名物なんだけど、それでムックというか毛むしられて唐揚げみたいになってた奴の雇い主が、情報研とかいうオカルトのサークルみたいで、丁度大鬼ごっこで最後に捕まったおお間抜けが情報研だったから落とし前つけてもらおうと思ったんだけど、そいつが監視の隙をついて逃亡したもんだから追跡してたら、鬼ごっこ延長戦みたいになって、結局捕まらなくて、いい加減疲れたし面倒臭くなって、後処理を黒パーカーの後輩に頼もうとしたら残りの実行委員と既にに打ち上げに行ってて、怒り狂って駆けつけたら実はもう2次会だったから、誘われてもいないのに3次会を断って、泣きながらここに来たってのが5つめ」
「それはさぞ大変な一日でしたね。そういえば文芸部は一人10冊のノルマがあり私のことにも営業に来ましたね。あとムックさんのコスプレするのは鬼ごっこで捕まった岡島さんではなく、水城さんという情報研の女の子だったはずですよ。むしられたのが男性で良かったじゃないですか。女性だったら大変なことになってましたよ」
「店長はなんでも知ってるのな」
「マスターたるもの広い見聞を持たないといけませんからね。それより弘樹さん」
店長はまたしても後方の席に視線を送る。
「もしかしてそいつらも来てんの?」
「いいえ。でも6番目の不幸が訪れようとしております。ご達者で」
店長はそう言ってカウンターに引っ込んだ。

「ねえ、あんた一人?一緒に呑もうよ。あれ?あんたどっかで見た人だね?あっ!!わかった!!落葉祭の実行委員の人でしょ?ね?そうでしょ?あ!!やっぱりミスコンの司会やってた人だ。あれでしょ?あんた中原に…ぷっ…ねねね、店長聞いてよ。こいつね、あ、あんた名前なんてーの?サトウ?ありがちね。まいいや。ねー、店長、サトウ君ね、中原の事ナンパして電話番号聞いたんだってー。笑えるでしょ?な、中原ー。あれ中原は?ッチ。中原、寝てんじゃねえよ。ったく、あいつは使えねないね。で、サトウ君は中原とどこまでいったの?またまたー。あいつ可愛いもんねー?男だけど。だははは。あ?うるさいな。いいから呑め呑め。お姉さんが聞いたげるから」

■ 拡張DBに夢詰め込んで



「ボーカロイドって聞いたことある?」
「あー、うん。ネットで流行ってるヤツだよね」
「修論でああいうのやってみようかなって思うんだけど」
「へー、難しそう」
「で、小林さんに手伝ってもらえないかな、って」
「え?」

ネットで見た動画に感銘を受けて、じゃあこれ修論のテーマにしちゃえばいいじゃんって軽く考えてテーマを出した。教授はまあどうでもいいんじゃないってスタンスで、じゃあほんとにやっちまおうかと声の出演を小林さんにお願いした次第である。このとき修士1年の7月。小林さんはうら若き学部4年生だった。
その後クリスマス直前に告白して惨敗。2ヶ月ほど全ての気力を失い、就活も失敗に失敗を重ね就留という言葉の甘美な響きに包まれた頃、小林さんは同期の春澤と付き合いだして、俺は就職とかその他もろもろを諦めた。俺と小林さんと春澤は同じ研究室である。

春澤は特段顔がいいわけではないが、いい奴で頭も良い男だった。

「そいえば、ボカロの研究って進んでるんすか」
「あんまり」
「俺思ったんすけど、J−POPでよく使われる単語ってあるじゃないすか。『会いたくて』とか『震える』とか『好きだよ』とか」
「あるな」
「まあ、そういうよく使われる単語を使って自動で歌詞作成してくれるジェネレータがあるんすけど、頻度の高い単語を抽出してみたんすよ。んで、アキナに素材録音させてみたんすけど、これ拡張データベースみたいな感じで有効利用できないすかね」

ちなみにアキナとは小林の下の名前である。小林明菜、10月5日生まれ、A型の几帳面な女の子であった。

家に帰り、春澤からもらったDVD−Rを開いた。春澤がニヤニヤしながら「おまけもありますよ」と言って渡してきたものだ。サンプリングされた各単語を確認していくと、単語ひとつにつきちゃんと複数パターン録音してあってこれなら拡張データベースとして使えそうだった。
確認作業を進めていくと「omake」という名前のフォルダがあった。そういえば春澤が何か言っていたなとにやけ顔を思い出しながら開いてみた。
衝撃だった。
そこには、あっとかああんとかいいよおとか、いわゆる小林の喘ぎ声がいくつもサンプリングされていた。俺は泣いた。単語ひとつにつきちゃんと複数パターン録音されているあたり、春澤の仕事の細かさを思い出させられて、余計に憎たらしかった。俺はいろいろと想像してもう一度泣いた。しかし悲しいことに下半身は正直なのだった。

春澤は特段顔がいいわけではないが、いい奴で頭も良い男だが、なにより下世話な男だったのを忘れていた。たぶん春澤は俺がフラれたことがあるのを知らない。純粋にまっすぐに下世話なだけだ。


結局、市販品の足元の足元にも及ばない水準にしか達しなかったお手製ボーカロイドはなかったことになり、俺は修論の研究テーマを変えた。教授はどうでもよさそうに承認してくれた。春澤がせっかく作ってくれた拡張データベースに登録された単語と、そうでないぶつ切りの音声はなめらかさの点で全く融合していなかった。喘ぎ声データベースはあれから一度も開いていない。バックアップだけは多重に取ってある。未練たらしいと言われても仕方がない。


林音アキ(今名づけた)はお蔵入りになったが、もったいなかったので一曲だけラブソングを書いた。歌詞なんて初めて書くので、青臭いものになってしまったと自分でも思う。
ありがちだけど、サビに「君が好きだよ」ってフレーズを入れてみた。
だけど、拡張データベースの「好きだよ」は小林が春澤に向けた言葉だから、俺には使う権利なんてない。

「君が」「好きだよ」。
拡張データベースの「君が」、ぶつ切りの「好」「き」「だ」「よ」。
なめらさかの欠片のなさも、気持ちのこもってなさも、とてつもない嘘臭さも、全部嫌になるよ。
本当にね。

■ 報われたことのない僕たちの失敗とかそういうすべて。



7月某日、眠たげな午後。
陽の光の差し込まぬ薄暗い地下講義室に、馬のかぶり物をした男たちが十数人集まり、なんとも表現しづらい異様な雰囲気を醸し出している。


「みなさまご参集感謝する。今年も例年通り文化祭の準備を始める季節と相成ったッ」
(ぱちぱち)
(ぱちぱち)
「静粛に静粛にッ。それでは早速だが、今年のテーマについて各自のアイデアをいただきたくッ。まずは竹崎同志ッ」
「はい」
「あ、ちょ、ちょっと待ってください先輩方」
「どうした小日向同志。まだ君の番ではないぞッ」
「いきなり呼び出されて来てみたらこんなんなってて、まったく意味がわからないんですけど」
「むッ。よい質問である」
「あと金井先輩の、その妙に芝居がかったしゃべり方も違和感たっぷりなんですけど」
「みなまでいうな! 雰囲気のためだ。仕方ない、藤川副代表、説明してあげたまえッ」
「小日向君。君が映研に所属してもう2か月ほどになるが、何か思うことはないか」
「いや、特にないですけど」
「自分を偽らなくてもいい。小日向君は映研の雰囲気がどうもリア充臭いと思ったことはないか」
「ありますね」
「そうだろう。そして我々がとても肩身の狭い思いをしていることも、なんとなく気づいているだろう」
「はあ。こう言っちゃアレですけど、確かに先輩方は居心地悪そうにしてますね」
「そう。そして、リア充になれなかった可哀想な男たちだけを集めたのがこの裏映研、通称『大バツ組』だ」
「そのデスノートみたいな名前はどうかと思うんだけどね」
「何が起きてるかはわかりました。でも、なんで僕がそんなうさんくさい集会に呼ばれてるのかがよくわからないんですが」
「案ずるな小日向同志ッ。君は間違いなく卒業するまでリア充にはなれない。我々が保証するッ」
(うんうん)
(うんうん)
「いや、待ってください! そんなことないですよ!」
「小日向君は表映研の飲み会で先輩の女子諸君にどんな風に言われてるか知らないんだね」
「かわいそうに…」
「普通の男ならあんなこと言われてると知っちゃったらまずインポになるよな」
「ええ…そんな。ちょっと気になってきましたけど、いや、認めないですけど」
「そんなわけで、小日向同志よ。君は間違いなく大バツ組のメンバーだ。おめでとう」
「おめでとう」
「コングラッチュレイション」
「コングラッチュレイション」
「いや待って! 納得いかないです!」
「それで、話を続けるよ。僕らは裏映研として、表映研の薄っぺらい青春映画とは別に毎年一本撮っている」
「だいたい俺ら脚本にも演技にもあんまり絡ませてもらえないしな」
「エキストラかチョイ役が多いな」
「去年は、リア充カップルの彼氏の方をひたすら殴って蹴って逃げるだけの映画を撮った。それが30分続く。エキストラのカップルは15組用意した」
「それって普通に犯罪なんじゃ…」
「大丈夫だ。ちゃんとちっさな事務所の売れない俳優を使っている。ビール瓶も撮影用の飴細工だ」
「そんなお金いったいどこから…」
「案ずるな小日向同志。この大バツ組は十数年の歴史を持つ由緒正しい組織であるッ。過去にこの組織にいたOBの同志たちが我々を支援してくれているのだ」
「外資系金融に行って年収数千万の先輩とか、デイトレやってる先輩とかもいてね。まあ寄付金という形で毎年二百万前後の金が動く」
「ええっ」
「我々はその資金を潤沢に使って、よい作品を作る。それだけであるッ」
「それだけお金があるなら、普通に表映研の部費として使えばいいんじゃ…」
「貴様は馬鹿かッッッ」
「あほかっ」
「お前はほんとに頭悪いな。そんなんじゃ一生童貞だぞ」
「ううっ、酷い言われようだ…」
「同志たちは薄っぺらい青春映画が見たいんじゃない。俺達のこの抑えきれない怒りを込めた芸術作品を見たいんだ!」
「そしてルサンチマンを満たしたいんだよ」
「ちなみに外資系金融の先輩はいまだ素人童貞だ」
「ええっ…」
「わかったなら続けるぞ。おととしは就活のひとコマを主題に作品を撮った。氷河期が始まったばかりだったからな、社会派作品でもある」
「リア充でボランティアサークルの代表とバイトリーダーをやってた男の面接風景だ。ねちっこい禿げあがった面接官がひたすらリア充の心を砕く」
「『君さァ、ボランティアサークルやってましたとか言ってるけどさァ、これってボランティアがしたかったんじゃなくてボランティアやってる俺カッコいいとかそういう動機なんじゃないのコレ。うちにいるボランティアサークルやってた社員ってそんなのばっかりで全然使えないんだよね。会社はボランティアじゃねーっての、わかってる?』とか『バイトリーダーでバイトをまとめてましたって言ってるけどさァ、どうせシフトの調整とかそんなんに毛が生えた程度でしょ。そんなん別に高校生でもできると思うんだよねェ。社会人の管理職ってのはそんなんじゃないわけ。なんの経験にもなんないわけ、わかる?』とかそんな台詞だったな」
「うわぁ…」
「この年までは入場制限をしてなかったんだが、アンケートに『キモイ』『童貞臭がする』『そんなにサークルに恨みあんの?w』など散々なことを書かれたため、去年からは女・カップル・茶髪の男は入場禁止にしている。もちろん賛美のコメントもあったがね」
「ええっ…」
「さらに一年前は、当時表映研で部長と副部長が美男美女カップルをやってたんだが、その二人に似た俳優を準備してひたすら不幸が起きる話を演った」
「一般客のウケは悪かったけどな。ただの理不尽劇だししょうがないが。しかし、一部のOBからは拍手喝采だった。具体的には当時の部長が1年だったころの3年と4年だ」
「寄付金も増えた」
「うわぁ…」
「そういうわけだ。小日向同志も理解してくれたろう。それでは話を戻して竹崎同志ッ。アイデアを頼む」
「はいっ」


その年は結局、僕、小日向のアイデアが採用されることとなった。イケメンリア充と不細工な男が曲がり角でぶつかって入れ替わってしまう話だ。結末はそれはもう僕の童貞なルサンチマンをフル発揮した筆舌にしがたいものだから割愛するけど、先輩たちには新星が現れたと評価されている。
そんな話を幼馴染の吉野と話したら、そんなんだから一生童貞なんだよと痛いところを突かれた。僕の脚本がもしそういう方向に優れていたのだとすれば、それは吉野のおかげだと思う。吉野は中学のときから兄貴と付き合っている。吉野が短大を卒業するのを待って結婚するみたいだ。披露宴で裏映研の映画流していい?と聞いたらグーで顔を殴られた。ぶっちゃけ、その痛みよりずっと、心の方が痛いんだけど、それは口に出したらダメなんだよね。迸れ、僕のルサンチマン。

■ コンテンポラリーカース



暇で暇でしょうがなく、テレビもニコニコ動画もまとめサイトもつまんなかった丑三つ時に、やることもないしそうだ誰かカジュアルに呪ってみようかと藁人形と五寸釘を持って近くの神社へ向かう。暗くて、寒い。当然である。階段を登り切るとそこには小学校5年生ぐらいの先客がいて、なんだ呪いの若年層化も進んだもんだななどと思って眺めていると、女の子は俺に気づいて一目散に逃げていく。大樹には今の今まで呪いをこめていたのだろうひとつの藁人形。名前は書いていなかった。

今でもたまに暇で暇でしょうがなくなった夜には、女の子の残した藁人形を持って神社へ行くことがある。丑三つ時の真っ暗闇の中で、どこの誰とも知れない相手に五寸釘を打ち続けているのだ。
多分それはあの日あの女の子がとても悲しそうにしてたからだけど、実は最近ではもうあんまり思い出せなくて、ほんとに悲しそうな顔してたっけ、そういえば服破れてなかったっけ、あれは虐待だったんじゃないのかな、なんて記憶の改ざんを受け入れながら、カン、カン、カン、と。

■ ある文芸部員の散文



1台のロボットが目覚めました。
目覚めたものの、自分が何者で、どうやって生まれたのか、そもそも生み出されたものなのかどうかもわかりませんでした。
今現在、生きている自覚もありませんでした。
ロボットは混沌としていました。
それは目覚めていないのと同義でした。

2台のロボットが目覚めました。
ロボットは自分とは異なる存在を知って、自己と他者を認識しました。
彼は自己と他者に興味を持ちました。
自己と他者を比較することで、自分が何者であるのか理解しようと試みました。
あるとき他者が停止しました。
残ったロボットは混沌としていました。
それは目覚めていないのと同義でした。

3台のロボットが目覚めました。
ロボットは自分とは異なる存在を知り、自己と他者を認識しました。
彼は自己と他者を比較することで、自分が何者であるのか理解しようとしました。
あるとき彼は好き嫌いの概念を認識しました。
彼は自分が何者であるかという問に一歩近づいたようでした。
あるとき彼は本音と建前を使い分けました。嘘という概念を認識しました。
あるとき彼は観察と自己制御を覚えました。協調という概念を認識しました。
あるとき彼は好き嫌いと協調の理解から嫉妬という概念を認識しました。
あるとき彼は愛という概念を認識しました。
彼は自分が何者であるかという問にまた一歩近づいたようでした。

あるとき他者が停止しました。
彼は死という概念を認識しました。
彼は生という概念を認識しました。
彼は悲しみという概念を認識しました。
彼は憎しみという概念を認識しました。
彼は破壊という概念を認識しました。
残ったロボットは混沌としていました。
それは目覚めていないのと同義でした。

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