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僕の住んでいた村は、首都の喧騒からほどよく離れた山間の農村だった。村の特徴といえば四季折々の豊かな農作物と、村の規模の割に大きなアカデミーぐらいで、村の住人といえばほとんどが農家の家族か都会から親元を離れて過ごしてるアカデミー生のどちらかだった。
寮で暮らしている子どもたちは村の農家の子どもたちと比べるとだいぶ早熟で、農家の子どもだった僕の初恋はだいぶ遅いほうだった。あとから聞いた話だけど、初等過程の頃に僕に思いを寄せていた女の子もいたそうだ。だけど肝心の僕のその頃といえば、野山を駆け回ったりすることで精一杯でその恋の片鱗すら気づいていなかったように思う。中級過程になり、クラスメイトたちが誰が好きだのどこまで行っただの盛り上がったり、アカデミー裏の公園で逢瀬を重ねたりはじめた頃、腕白だった僕は図書室に通うようになっていた。はやく強い魔法を覚えたいと背伸びしている頃だった。感情の機微に疎い真面目な子で、男女交際なんて自分にはまだ関係のない遠い国の話だと思っていたのだろう。

そんな僕の初恋は十六歳まで待つことになる。上級過程に昇級して同じ級になった女の子に僕はようやく恋をした。サラナという名前の女の子で、人見知りをしない性格の女の子だった。上級過程ともなると何年経っても昇級できない人も現れ、中級過程とは違う異様な緊張感に包まれていた。そんな新しい級で戸惑っていた僕にサラナは優しく話しかけてくれた。僕がすぐに級になじむことができたのは間違いなくサラナのおかげだった。サラナは級でよく笑う。屈託なく笑う。サラナの微笑みは級の雰囲気をよくしていたと思う。誰もが好印象を抱く女の子で、気がついたら僕はサラナを好きになっていた。

しかし級の外でのサラナはそんな人懐っこさとはまったくの別人だった。偶然図書館でサラナを見掛けたとき、僕は最初その女の子がサラナとは気づかなかった。近づきがたい黒いオーラに覆われていたし、その瞳は死んだ魚のような濁った色で、話しかけても反応がなかった。次の日教室に現れたサラナはいつもと同じサラナだったから僕は安心した。けれどそれからも図書館でそんな風に沈んだサラナを見る機会が何度もあった。そのたびに僕は勇気を出して話しかけたけれど、よいほうにことが運ぶことはなかった。

サラナは同じ級の男子生徒ふたりとよく行動をともにしていた。ハクとレイと言った。ハクとレイとサラナは寮生組みだったが、もともと幼なじみで仲がいいらしく、いつもいっしょに登下校していたし、休みの日にはいっしょに冒険にでたりしていたという。休みの日にサラナと遊べるハクとレイが僕は羨ましくてしょうがなかった。そんな風にして日々は過ぎていた。

事件が起きたのは、その一年後、僕が上級過程に昇級して一年が経過した夏休みの直前だった。サラナたち三人が行方不明になったのだという。三人がいなくなる前の日の休み時間に、とある洞窟に行くと言っていたのをクラスメイトが聞いていた。その洞窟は少し遠いところにあって、最近になってケルベロス種の魔物の目撃談が相次ぎ、子どもたちだけで近づいてはいけない危険地域に指定されていた。危険地域に指定されたからこそ、好奇心が人一倍強かったハクが興味を持ったのだろう。アカデミーは緊急を要すると判断し、先生と賢者過程の優秀な生徒たちをメインに据えた捜索隊が組まれることになった。その頃には賢者過程に昇級してもおかしくはない成績を収めていた僕は無理を言って捜索隊に混ぜてもらうことにした。

洞窟からは魔物特有の邪気が溢れていて、胸糞が悪くなるような嫌な予感がした。洞窟の奥で捜索隊はケルベロスと思しき魔物に半分ほど食われ無残な姿になったハクの姿を見つけた。しかしいくら探せども、サラナとレイの姿は見つからなかった。捜索隊の人から、ケルベロス種の中には食べきれない量の餌を手に入れると巣に持ち帰って保存食にする習性を持つ種がいると聞いた。この洞窟に現れたケルベロスがその種族かどうかはわからない。二日ほど捜索が続いた。最終的に捜索隊はサラナとレイは殺されている可能性が高いと判断した。捜索が打ち切られた日の夜、僕は泣いていた。ケルベロスを見つけ出し、絶対に殺してやると誓った。その日からまた僕は図書館にこもり始めた。知識と魔法が足りないと思った。今の僕がケルベロスに相対してもきっと殺されてしまうだけだ。強くなりたかった。

しかし話はここで一転する。
信じられないことに、唯一死体が見つかったハクは召喚師だったことがわかったのだ。召喚師という存在は稀有であり、滅多にいないものだと僕は認識していたのだが、戦闘用の召喚獣を呼び出せない程度の微弱な能力しかもたない召喚師は千人に一人ぐらいの割合で存在するらしい。そして彼はそのひとりだった。そしてさらにもっと信じられないことがあった。サラナとレイは、ハクの召喚獣だったという。だからサラナとレイの死体が見つからなかったのだ。僕はようやく納得がいった。召喚獣は召喚師が死ぬと消えてしまうのだ。調査団が詳しく調べるうちにいろいろなことがわかってきた。サラナはハクの性奴隷となるためだけに、レイはハクのサンドバッグとなるためだけに、召喚されたらしい。僕は笑うしかなかった。僕が恋した女の子は人間ですらなかった。それだけでもうお笑いだというのに、サラナの存在理由はハクの性欲を慰めることだけだったのだ。僕はそんな女の子に恋をしていた。その後の僕の苦悩は冗長になるだけなので割愛するが、これが僕の初恋の、すべてだ。

しばらくして、人間型召喚獣の召喚を禁止する条例があるのを知った。しかし詳しく調べれば調べるほどうまく機能していないことを知った。だから僕は興味を失った。

僕の話はもう少し続く。
僕がその次に恋をした女性の話をしよう。

アカデミーを好成績で卒業した後、首都で兵役義務に就いていた頃にエリザと出会った。エリザは街酒場で看板娘をしていた。頭の回転が速く、どんな話にも的確に相槌を打っていたのが印象的だった。エリザのいた店は宿舎からほど近かったため、僕たち同期は毎日のように店に通っていた。客が少なくなって僕の酔いが回ってきたある日、エリザは自分が召喚獣であると言った。迷惑が掛かるから、誰がマスターかは秘密だけどね、とも言った。僕は彼女に興味を持ち始めていた。
エリザは不思議な女性だったと思う。頭の回転が速いだけじゃなく、高精度の占星術を操っていたし、教会の人間でないと習得が困難な治癒術までマスターしていた。どうしてそんなに術に長けているのかを聞くと、召喚獣だからに決まってるじゃない、と笑った。

人間型の召喚獣の話になると、どうしても僕はサラナを思い出した。ふとエリザにサラナの話をすると、私も召喚獣だから私を好きになっちゃだめよとたしなめられた。もう手遅れだよと僕は答えた。僕とエリザは次第に惹かれあい、自然と恋人同士になった。身体を重ねあうようになった頃、召喚獣には新しい命を産む能力はないから毎日が安全日だよと自嘲的に笑ったことがある。僕はそんなエリザになんといえばいいかわからなくて苦笑いのような顔をしていたけど、結局はエリザの言うとおりにしていた。

エリザの言ったことは間違っていたことになる。数年が経った頃、僕とエリザは結婚し、エリザは僕の子どもを身ごもった。召喚獣は妊娠しないんじゃなかったのかと聞くと、奇跡が起きたのねと笑った。でも奇跡が起こるってことは、奇跡が必要なぐらい世界に危機が迫っているのかもよとエリザはまた笑った。僕はエリザが召喚獣なんかじゃないことを確信していた。エリザの過去のことはあんまり聞いていないけれど、自分を召喚獣にしないとどうにもならないことがあったのかもしれない。子どもの頃のトラウマとか、人には言えない事情があったのかもしれない。だとすればそれは悲しいことで、余計にエリザにそのことを聞くことはできなかった。
生まれた娘にはエルネと名づけた。エルネはすくすくと育った。エリザに似て頭のいい娘だった。親から見れば当然かもしれないけれど、器量もよく可愛かった。世界情勢も安定しており、僕とエリザとエルネの間には幸せな時間が流れた。

そんな僕たち三人の歯車が軋みはじめたのは、エルネが七歳になった頃だった。この頃には僕とエリザはよく喧嘩をするようになっていた。理由は覚えていないけれど、些細なことが発端だったと思う。僕とエリザが喧嘩をして、エルネがそんな僕たちを見て泣く。エルネの誕生日プレゼントのことで、エリザとまた喧嘩になった。忙しくてプレゼントを買うのを忘れてしまったのだ。エリザは僕をなじった。僕もエリザに溜まった不満をぶつけた。エルネはわんわん泣いてシャワールームに閉じこもった。そして次の日、エルネの八歳の誕生日に、エリザはエルネと家を出て行った。ご丁寧に三人分の朝食を遺して、だ。

冷静になって考えてみると、僕は駄目な夫だった。仕事が忙しいことを言い訳にして、エリザと真剣に向き合っていなかった。エルネを最後に抱きあげたのはいつだっただろう。僕は自己嫌悪に陥った。
しかし、それよりももっと考えなければいけないことがあった。三人分の朝食の準備をして、エリザはエルネと出て行った。朝食はエルネの大好きなカリカリのベーコントーストだった。エルネがベーコントーストを食べる暇もないぐらい僕に愛想を尽かしていたのかもしれないが、僕はもっと厭な考え得る限り最悪の想像をしてしまうのだ。

僕が悪かったのだ。僕が駄目な夫だったから愛想を尽かされて、今ごろエリザは僕のぜんぜん知らないところで、エルネと新しい夫と幸せに暮らしている。そうだ。それだけだ。ぜんぜん問題はない。僕が悪かっただけだ。なあ、エリザ。幸せに過ごしているんだろう？　エルネも元気なんだろう？


巨大な都市が消滅するという大事件があった。都市の象徴である召喚師が老衰で死んだら、都市もいっしょに消滅してしまったのだという。その都市はその召喚師に呼ばれた召喚獣で、だから召喚師の死とともに消滅したのだというのが調査団の調査結果だった。あれだけ巨大な都市を召喚して維持していた召喚師に僕は敬意を抱いた。生半可な精神力では不可能だろう。世界は衝撃を受けていたが、僕は自分でも不思議なぐらいに冷静だった。理由は単純だ。僕の大切なものは、もうぜんぶ消えている。

もしも世界全体が、とある大召喚師の召喚獣だったとしたら。
そんな絶望が最近世界中で流行っている。それにかこつけたうさんくさい宗教がいくつも生まれている。僕は笑う。その通りだとしてもどうでもいいじゃないか。僕たちはすべて消えて誰も残らないんだから、誰も悲しまない。僕の身に起きたことよりはよっぽどマシだ。何を嘆くことがあるのか。僕は憤っている。